日本ではじめてのまち歩き博覧会 長崎さるく博’06
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まず、質的な評価を

 「長崎さるく博’06」が十月二十九日に閉幕した。本番二百十二日、プレイベントからは三年にわたるロングランの博覧会だったが、初期の目的はほぼ達成できたと思っている。

 一般に博覧会の成果というと、何人集客できたかという数字で判断されることが多く、当事者は数字の獲得に躍起になるものだが、「さるく博」では、それも十分満足いく程度に達成したけれど、そのことは二の次にして、まず何より質的な側面での成果を評価しておきたい。

 「さるく博」は、都市観光の質の転換を問う観光イベントであった。いま、日本の国内観光集客は海外観光需要の拡大と比較して各所で行き詰まりが顕著になっている。沖縄や京都のような少数の勝ち組もあるが、総じてここ数年観光客をかなり減少させている。その原因はいくつかあるが、単に不景気が続いたというだけでなく名所旧跡の見物に依存してきた従来型の観光の限界とみるのが当たっている。さらに日本の都市観光が依然として不発であること(都市を観光するという発想が未発達であること)が拍車をかけている。長崎の行き詰まりも恒常的になっていて、入込み観光客数がここ十年で一割以上も減少している。この状況を切り開くには従来のあり方から脱却して長崎観光の質を転換すること以外に道はなかった。

 このことは、本紙にも「さるく博」開幕前に書いた。質の転換を具体的に模索したものが「まち歩き」にほかならない。

 「まち歩き」とは都市をうろつくことで、いまさら言うのも変だけれど観光の基本である。江戸期に伊勢詣や金毘羅詣にかこつけて(寺社参りには通行手形が下りた)沿道の都市に立ち寄って遊興したのが都市観光のはじまりだった。現在でも海外旅行は都市をうろつく観光が基本になっている。しかし、日本の都市がどこも東京の金太郎飴のようになり個性的な面白みをなくしていることもあって、都市をうろつく観光が旅行業者に有力商品として取り扱われてこなかった。そのことで日本の都市観光が成熟しなかったし、都市が自らの個性を積極的に磨こうともしなかった。

 そうであるから、長崎が「まち歩き」を回復させようとしたことは、日本の都市観光の現状に対する挑戦でもあった。また、「名所旧跡温泉宴会観光バス」で成立している日本の観光業界では、そんな観光がにわかに成立するとは信じがたいことであり、「まち歩きの博覧会」と聞いて「おそらく失敗する」と思った観光関係者が多くいたのもやむを得ない。日本では、わが国随一の観光都市・京都のまち歩きも、わが長崎のまち歩きもいままで成立しなかった。あるのは京都では清水寺・金銀閣寺・嵐山の観光であり(現実にこの四施設で京都観光の六〇%を担っている)、長崎ではグラバー園と平和公園の観光であった。長崎が「さるく博」によって、ここから抜け出して長崎のまち観光を成立させ、日本の都市観光の新しいカタチを示し得たことの意義は非常に大きい。「さるく博」は都市観光のコペルニクス的転換をやり遂げたといっても大袈裟ではないだろう。

 

裏付けとしての数字の評価も

 「さるく博」の成功は、実感が数字で裏打ちされたことで観光関係者を含めて多くの人びとに認められることになった。そのなかでも、「遊さるく」の参加者が七百万人に達したということが、驚きと理解を超えた戸惑いの目で受けとめられているので、少し解説しておきたい。

 観光統計の数字は地方によって調査方法が多少異なるが、地域への入込み者数に観光者比率を掛けて算出しているものと、複数ヶ所の地域内観光地やイベントへの来場者の総和によっているものの二種類がある。長崎は前者の統計を採用していて平成十七年度は四百八十万人ほどであった。京都も同様な方法で十七年度は四千七百万人である。「遊さるく」参加者は、観光客の一定数に街頭面接調査(市民には電話調査)をして「遊さるく」へ参加した率を調べ、さらにひとりあたりの参加回数(コース場所数)を調べて、それらを入込み数に乗じて観光客と市民の延べ参加者総数をはじき出している。市内で観光している人々全員を対象に一人ひとり面接調査することは不可能なので、このような統計的な方法で推計せざるを得ないが、今回の「遊さるく」は宿泊客では七〇%ほど、日帰り客では六〇%ほどの参加率で、宿泊客は1日あたり一・八コースほど、日帰り客では三・五コースほどに参加していると調査結果が出た。その結果から観光客と市民あわせて七百万人ほどの「遊さるく」参加者が推計でき、他のイベントへの参加者を累計すると総和で一千八万人ということになる。基礎となる入込み観光客数も前年比で六%ほど増加している。これは毎年平均して一%ほど減少が止まらなかったいままでの流れを、「さるく博」が逆転しただけでなく一気に数年分をとり返したということになる。

 私に言わせれば、「遊さるく」で七ヶ月間に七百万人を得たという数字は驚くに足りない。京都が入込みベースで十一月のひと月に六百万人の観光客を呼び込んでいるのとまともに比較するわけではないが、長崎はその実力からして七ヶ月でまち歩き参加者七百万人はまだ控えめな結果であって、今後は「さるくまち・長崎」としてもっと大きな数字が期待できると考えている。

 ついでに「さるく博」に現れた他の統計数値から、いくつかのことを指摘しておきたい。

 一つは、市外からの観光客参加者に比べて市民参加者の少なさが目立つことだ。その比率はなんと九対一である。長崎のまちがあまりにも身近に存在するので、市民にとってはいまさら慌ててまち歩きするに及ばずということなのだろう。開幕前は、実は、正反対の現象を恐れていた。市民は面白く受けとめてくれるが、遠来の観光客を引き寄せるパワーがあるかということに自信がなかったからだ。ところが結果は逆に出た。長崎のまちの魅力は、非居住者には強く再認識されたが市民には‘これから’ということか。このことはグラバー園や出島などの施設入場者数にも現れた。観光客は全体の九割以上を占め市民は一割以下に過ぎない(中島川の「夜市」だけはその逆であるが)。ここから何を学び、長崎のまちや施設が市民にとって何であるのか、何であるべきなのかを再考する必要がある。「さるく博」後に残された大きな課題であろう。

 二つめに、「通さるく」の参加者から推計すると、九州以外の遠隔地からの観光客が二〇%近くあり、しかも首都圏・関西圏からはその三分の一を占める。長崎ブランドは全国的にいまだ健在であると言ってよい。「さるく博」では九州以外の地域に広報が及ぶことはほとんどなかったにもかかわらず、推計であるが百万人を越える人々が遠来して長崎をさるいた。この数字の意味するところを大切にしたい。今後、首都圏や関西圏を攻めるにあたって、費用対効果を最大化するために特定の地域にターゲットを絞ったマス広報戦略が可能なのではないか。このような状況を実現したのは、やはりインターネットの普及によるところが大きい。「通さるく」の申し込みの約半数はネットからであったことも今後の取り組みの基礎データとして理解しておきたい。

 数字を分析しはじめると切りがないので、いずれ、正確な観光統計が発表された時点で、みなさんで有意義な分析を試みていただきたい。「さるく博」はその点でいくつも有効なデータを残してくれたと思っている。

実現した市民のエンパワメント

 「さるく博」の残したものとして、都市観光を転換したという意味と、結果としての達成した数字の意味は、以上のようなものであるが、実は、それらを成し得たのは、ほかでもない長崎市民の直接的なエンパワメント(社会参加効力)であった。

 私は、このことについては多くの紙面やウェブサイトにも書いたが、何度書いても書き足らないほどのすばらしいことだ。実際にパビリオンも人寄せパンダもない「博覧会」を支えたのは「さるくガイド」や「サポーター」である市民で、約五千回の総出動回数に延べ九千名が従事して、日々現実に「博覧会」を進行させた。冷風に震えた春、長雨の梅雨、いつまでも暑さが和らがなかった夏の二百十九日間で、決して天候条件に恵まれたとはいえない長期にわたって、博覧会のシステムが最後まで正常に持ちこたえることができたのも、市民のエンパワメントが成立していたからである。一般の博覧会では、ひとたび施設が完成した後は電力の供給とコンパニオンの存在があればほとんどすべては自動的に進行するが、「さるく博」はガイドやサポーターが「ヤメタ」といえばそこですべてが終了する市民パワーの博覧会であった。つまり「博覧会」の成否にかかわる最後の決定権は市民が握った。それだけの責任を背負って市民が「博覧会」を支えたとも言える。このことは日本ではまれな事実して記憶しておきたい。四十二種類のマップも地元市民が自ら制作した。記念イベントの中身もほとんどすべてを市民が構成して自ら出演した。この危険な試み(プロに頼ると安全である)を最後まで貫徹してくれた市民プロデユーサーの能力をあらためて評価したい。

 私は、延べ三万名ちかい市民が寄って集ってつくりあげたこのような長期で大規模なイベントを、日本ではいまだかつて見聞したことがない(おそらく世界でも例が少ないだろう)。それが「さるく博」だった。いままだ沸沸と煮えたぎっている長崎のこのエネルギーは、将来に何かとんでもない大きなことに結びついていきそうな気がする。

 「さるく博」の企画に「マイさるく」コンテストがあり、短歌や俳句、絵手紙などを応募してもらった。市民や観光客が「さるく博」をそれぞれに受けとめて、見事な表現の作品がよせられた。

 俳句の部の市長賞に「わが町を夏より熱く語るかな」(古田かほる)がある。あの暑い夏の太陽に負けじとわがまちを語りつづけたガイドの口元がクローズアップされる。短歌の部の大賞は「遠くから来る朋有り長崎を自慢たらたら歩かせており」(西部稔)。わがまちを自慢する誇りと自負と喜びが全身にあふれている。いつまでも自慢しつづけてくれないか、あなたも。


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